床の間の役割と変遷

歴史

究極の日本のおもてなしである茶道から数寄屋建築へ
安土桃山時代に発展した茶室(数寄屋)は、格式や権勢を重んじる荘厳な書院造(床の間、棚、付書院を備えた座敷)が主流だった時代に、茶道の思想を背景に質素で格式を排除した会所をめざした。
江戸時代以降は茶室から住宅などへとその幅を広げ、現代では料亭や住宅でも数奇屋建築に習ったものが造られるようになった。

未だ定説のない「床の間」だが・・・

織物待ち・西陣では床の間女像の軸を掛け、
五色の絹糸を飾る @水野克比古

歴史的経緯:平安時代の寝殿造(貴族住宅様式)から室町以降の書院造(武家住宅様式)へ
床の間の出現:寝殿造から書院造への発展期に床の間が出現
書院造ー板床・簡易間仕切の寝殿造から畳・間仕切部屋へ
起源説諸説:
仏壇起源説ー床の間が仏壇の必要性から発達
会所起源説ー接客で絵画鑑賞の空間意匠造りとして発達
床の間の前身「押板」説ー押板様式の発展説
上段起源節ー位の高い者のための上段が変化したものとする説
中国紀元節ー作り付け壁面収納として発展したとする説

起源説から見えるもの

床(トコ)に込められた神聖な意味ー清められた場から鑑賞空間へ

武家社会における地位を表す床の間

書院造の上段の間:室町時代、武家社会が発展する中、建築様式も寝殿から書院へと変わり、日本独特の畳を敷き詰めた和室が出現し、身分の上下をはっきりさせるため、「上段の間」が考案された。
略式の上段の間:大屋敷を持たない中級の武家や寺院では、身分の差を表す手段として、上段の間を略式化した「床の間」を設置し、身分の高い方が床の間に近い位置を上座として座った。

『慕帰絵詞』より14世紀の連歌会の様子

茶の湯の発展と「床の間」

会所から茶の湯へ
茶の湯文化に欠かせない床の間を含む空間意匠と道具(茶掛け、軸装、茶入れ、茶碗、茶杓、釜、花器、衣裳など)、菓子、料理、そのための器の全てが目利きによって選定され、値付けされていた。安土桃山時代に発展し、江戸文化で成熟を見せる。

「酒飯論絵巻」より 戦国時代の宴会の様子

「おもてなし」の精神と床の間

会所はサロン:親しい間柄の人々が集まる優雅な独立した社交場で、中世上流階級(公家、武家、僧侶ら)による連歌会、茶会、花寄せ会で遊興を盛り上げる装飾や道具(掛軸、絵巻、花瓶、茶器など)が飾られた。

茶道と仏教の精神文化と床の間

利休によって精神文化へ:利休が作った茶室(待庵)は、2畳の床の間のある小さな空間の中に、亭主と客が各々の精神世界を交わらせ、時には融和させ、亭主と主客が上下なく作り上げる一個の小宇宙。床の間には、その日に行われる茶席のテーマが掛け軸として掲げられ、置物や花といった季節の設えも意味を持った。

京都に残る利休の設計した茶室(国宝)

京都にある曹洞宗の寺院の床の間。円窓と障子窓の配置が禅の極意を表している

千代田の大奥 茶の湯まわり花 橋本楊洲作

茶道の精神から数寄屋造へ

数寄屋造:数寄屋造とは、日本を代表する建築様式の一つで、数寄屋(茶室)風を取り入れた住宅の様式。「数寄」の語源は、和歌や茶の湯、生け花など風流を好む数寄者からきた。
写真⑦現代の住宅や旅館に受け継がれた数寄屋造